宗教と部落問題ー「対話の時代」のはじまり<上>(1997年、第26回部落問題全国研究集会)

今回も最初に、藤原昭三先生の描かれたスケッチを1枚収めさせていただきます。




「部落問題」といっても一般的には十分理解の届くものではないかも知れませんね。まして「宗教」となるとほとんどの人がお手上げ状態だと言われたりいたします。

まして本稿の主題となっている「宗教と部落問題」となると、こうしたことにははじめからあまり深いりしないでおこう、といった状況も、長く続いてしまいました。

ところが、1960年代の終わりごろから、部落問題の解決の取り組みが本格化して、10年間の時限立法として成立した同和対策事業特別措置法が期限切れとなり、深い論議の末、結局その法律が3年間延長される段階で、この法的措置を今後どうするのかをめぐって、さらに本格的な検討を重ねる、といった大切な時を迎えていました。

神戸においては、他府県や他都市の場合と違って、1971年の詳細な現状調査を踏まえて、それぞれの地域ごとの改善計画を含む総合的な長期計画を策定して、この法的措置を活かした取り組みが重ねられていました。

そんな中で、部落解放同盟による「宗教教団への差別確認と糾弾闘争」といわれるものが集中的に展開され、日本の宗教教団(伝統的な仏教教団をはじめ、私たちのキリスト教団も含めて)は、1981年に「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」という組織をつくって、部落解放同盟という特定の運動組織と連帯行動を進めるということが、常態化していきました。

そしてすでに当時、部落解放運動は分裂し、戦後早くに京都に創設された部落問題研究所という研究機関も、大阪に部落解放研究所が別につくられて分裂状態が進行し、研究機関が解放運動の内部機関のような位置づけにされていく事態が生まれていきました。

上記のような時代状況を背景にして、ふたつの研究所から全く同じ書名『宗教と部落問題』で、同時期(1982年)に出版物が登場するという、この分野のフィーバーぶりが露見していきました。




今回と次回に分けて掲載する拙稿は、それからほぼ15年余りが経過した頃でしたが、1997年に北九州市にある大学を会場にして開催された「第26回部落問題全国研究集会」において報告した講演草稿です。

本稿は、今から14年も前のものですが、実は未だに「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」という組織は、名称にはいくらか変更はあるようですが、21世紀を迎えている今日も継続しているようです。宗教教団が抱え込んでいる問題性は、未解決ののまま引きずっているのではないかと思いますが、どうでしょうか。

それでは、以下に前半部分を収めてみます。