賀川豊彦の畏友・村島帰之(126)−村島「アメリカ巡礼」(4)
「雲の柱」昭和7年5月号(第11巻第5号)への寄稿の続きです。
アメリカ巡礼(4) ロサンゼルスその他
村島帰之
(前承)
義勇伝道会
十六日
六時の早天祈祷会。先生の講演は「基督の十字架」について。
先生は会衆に向かって南加五万の同胞に対し、教役者わずか二十四名では手不足だから、義勇伝道者を募りたいと発議され、立ち處に四十八名の志願者を出した。大いなる恵みだ。
食後の卓上小話に、先生は武内勝、伊藤傅氏の信仰美談をされる。
十時からは南加大學の學生に對する講演と食事。
それからはラヂオの放送――忙しい事だ。ラヂオ――KHGといって、ロサンゼルスで最も大きな放送局は何故か「基督教の話は困る」といったといふので、先生は憤然として引揚げやうとされたが、案内役のハンター氏が仲裁して、先生は主として「日本とキリスト教」について語られたさうだ。私は散髪に行ってゐたので不幸にして聞き漏した。
午後は二時から東二十街の基督教会で婦人會満員のため地下室へ移るといふ騒ぎ。先生は、「現代婦人の覚悟」と題し、ジョーク入りで面白く話されたので、決心者三十八名を与ヘられた。
夜は賀川コープレーション主催の共励大会へ臨まれる。米人第一メソヂスト教會。三千六百名が入るる曾堂も、時間前に満員。五百名位は入場出来す、やむなくこれを別室へ案内し、大衆への講演の後、特別に数分間、この人々に話して貰ふ。
羅府郊外のドライブ
私はシカゴの瀧澤兄が自動車で迎へに来てくれられたので、一緒にブルバード(巴里の大通りに倣った大通りだ)をハリウッドヘ長躯し、ワナブラザーやフォックスのスタヂオを表から眺めて、一寸東條氏邸に立寄る。此の家は曾て堀越牧師の住ってゐた頃、牧師が日本人のためのロッヂを建てやうとした事から排日騒動が起って、あはや放火されやうとした事のある由緒ある家だといふ。
東條氏はいふ「アメリカ人は公園や教会が近所に建つ事を喜ばないのですよ。大勢人が集るとうるさいからです」
と、基督教國のアメリカも当てにはならない。メーフラワー号で来た清教徒たちは地下で泣いてゐるに違ひない。
東條氏邸を辞して、映画俳優の住むベバリーヒルを通る。一眸の裡にロサンゼルスの街を瞰下す景勝の地だ。
見れば、ロサンゼルスの街はまるで螢籠のやうに光ってゐる。
サンタモニカの海浜の方へ出る。まだ両側に家もないのに、至るところ、二十間にあらうといふ廣い舗装された路だ。
「これは地主がつけた道です。上水も下水も出来てゐます。つまり、土地を高く売るためにつけた道なんです。だから地價はとても高くて、日本人なんか到底手が出ません」
と瀧澤兄が説明してくれる。
自動車は三四十分も、暗いがしかし廣い道を走ってロングピーチやベニスといふ盛り場を車上から見物する。
大分、時間がたったので、車を町の方へ向けて貰ふ。両側の街燈が一つ置きに消えた。十一時だ。
その一つ置きの街燈も、二つの球が一つに減った。十二時だ。
照明にまで合理的な消し方をしてゐるところが面白いと思ふ。
至るところ、キチンハウスがある。自動車に乗った儘、サービスする家も大分見受けた。
建物を自動車に形どったり、帽子に形どったりしてゐる家もあった。
日本式に女給にサービスさせてゐる家もあるやうだった。
ロサンゼルスの街には魔天楼が少い。まだまだ平面に延びる余地があるからだ。ロサンゼルスの町の美しさは、平面的の美である。
合同教會へ帰ったのは十二時。先生たちは既に眠って居られた。
一人の姉妹
十七日
六時早天祈祷會。先生は「基督と聖霊」について善い説教をされた。
義勇傅道者の志願者が五十三名に殖えた。朝食は百名。義勇大膳職の大坪さんと土井女史、高橋女史はてんてこ舞だ。
此の日、また一の姉妹が、その郷里、静岡県三島町在に農村セツルメントを作ってほしいとて資金の提供を申出られた。熟心なイエスの友の一人だが、名は必ず隠してくれとの事なので遺憾乍ら此處には書かない。奥床しい話だ。
先生の食後小話は「如何に傅道すべきか」といふのであった。
続いて牧師會議。先生は信用組合の組織と義勇傅道師の養成について具体的の説明をされる。
そして先生は、今回のロサンゼルスにおける献金の半分を、信用組合の資金として置いて行くと声明される。
大きな霊火が加州に起こらんとしてゐるのだ!!
(この号はここまでで終わる)