賀川豊彦の畏友・村島帰之(124)−村島「アメリカ巡礼」(2)

  「雲の柱」昭和7年5月号(第11巻第5号)への寄稿の続きです。

        アメリカ巡礼(2)        ロサンゼルスその他
                         村島帰之

   (前承)
   古谷福松氏
 午後二時、これでやっと釈放されて、午餐を頂きに徳牧師宅に向ふ。小ぢんまりしたコテーヂに、本が山のやうに積れてゐる。奥さんのお手料理を頂く。われ等一行三人と、それに平田ドクトルの一家族、古谷福松氏と約十人の大午餐會だ。

 古谷さんとは初對面である。氏は賀川先生の紀州南部のセツルメントのために資金を出してゐる人だ。

 「あなたにお目にかかるのは始めてだが、あなたの事は先生から聞いて知り過ぎるほど知ってゐますよ」
 といって握手をする。大きい手だ。労働に馴れた偉大なる手だ。

 昼餐がすむと疲れたる先生は御休みになると思ひきや、どうして古谷君の處へ行くと云ひ出され、とうとう十七哩離れたエルモンテの古谷氏の農園に自動車を飛ばした。

 古谷の奥さんの労働服姿とは並んで写真をとったり、古谷氏等が創業の際に住んでゐたと云ふ、全く豚小屋同然の前で記念撮影をしたり、恰も我が屋に帰った様な調子だった。
平田ドクターの宅にも立よられた。

    共産党員の妨害

 午後八時から米人第一組合教曾て連続講演曾の第一夜を持つ。
先生は「現代文明と宗教生活」と題して講演されたが、講演の終わるや否や、一人の矮小な男がツカツカと演壇に馳せ上り「私は聴衆諸君に一言する」といってやり出した。

 彼等は共産党で、かねてから「賀川排撃演説會」を催したり、ピラを蒔いてゐた反宗教同盟の連中であった。これを見た小川牧師は敢然として壇上に突進してその男を壇上から引づり降した。そこへ警官が来て彼はその儘連行されて行った。警官が二人、その男を中に挾んで、からだには身も触れずにつれて行くところは面白いと思った。日本なら――と想像して見たからである。

 一行三人、合同教會の三階に泊る。婦人曾の人たちが、カーペットを新調したり、布團を縫ったりして用意をして居られたのである。教会の幹事の高橋氏夫妻がわが事のやうにして、かゆい處へ手の届くもてなし、感謝の言葉もない。

    エスの友早天礼拝
   十四日

 午前六時、讃美歌の声で目をさまして大急ぎで講堂へ出る。イエスの友の早天礼拝が始まるのだ。

 羅府のイエスの友は六年前、賀川先生が来羅されて発曾してから今日まで引続いて日曜の早天礼拝を守ってゐるのだが、此度は先生の来羅を機に一大リバイバルの起こるやうにと、去る九月十日以来一週間に亙つて連日早天祈祷會を行って居られるのである。會衆百余名。

 先生は「基督の山上垂訓」について奨励をされ、終わって階下の食堂で会費拾五銭の朝飯を一緒に頂く。先生はデザーㇳコースに這入ってから簡単な挨拶をされ、私も徳牧師に紹介されて立ち「私は賀川先生のノミだ」といって話す。

      (つづく)