賀川豊彦の畏友・村島帰之(78)−村島「アメリカ大陸を跨ぐ」(8)

「雲の柱」昭和6年10月号(第10巻第10号)に寄稿した続きです。


        アメリカ大陸を跨ぐ(8)
        バンクーバーからシカゴまで
                            村島帰之

    
  (前承)
   米大陸横断

 黄に塗った大きな石油缶を思はせるやうなミルオーキーのプルマンカーに乗込む。ブルマンといふのは寝台車の発明者の名で、各ラインの寝台車の製作を一手にするだけでなく、そのカーによる旅客輸送をも一手でやってゐるのだ。だから、汽車會社はたゞ機関車を動かしてゐるだけで、放客ば一切プルマンが取扱ってゐる訳だ。

 切符はサンマーコースでラウンド・チケッㇳで、シヤトル――シカゴ――トロント――クリーブランド――ニューヨーク――シカゴ――サソフランシスコ回遊で百八十三弗、平常の約半額ださうだ。

 両先生はミニスターといふので割引がある。牧師を優遇するのは、さすがアメリカだ。
 汽車は笛一つならさずに動き出した。日本のやうにゴトンといふ音もしない。
 寝台にその儘寝て了ふのは早やすぎるので展望車へ行って見る。勿論、外人ばかりだ。殊にレディが多い。絹のストッキングに包んだ太い足を、憶面もなく、われ等の前に積み重ねる。

 部屋の隅のホーンからは、ラヂオがダンスレコードを放送する。アメリカのラヂオは、聴収料の要らぬ代り、種々の廣告を放送するさうだが、生憎、英語のハッキリと判らぬ僕たちには、どれが廣告だが判らないから、結局、音楽をタヾ聞きするといふだけだ。

 私たち三人は、列車を通じての只三人の東洋人として、ソファに身を埋め乍ら、ラヂオを聞いたり、話し合ったりする。
 賀川先生が「腹がへった」といひ出したので、黒人のコックにサンドウィッチを拵へさせる。
 やがて寝台に這入る。賀川先生と私とは下側を向ひあいで、小川先生は私の上の方を取る。
 かくして、私たちは夢の中に米大陸の数干哩を走るのだ。


    タゴタの山峡
 二十五日
 午前七時に眼をさますと、汽車はスポークンに着いてゐる。こゝには日本人が二百人もゐるところだ。時間があるので一寸構内に下車して散歩する。
 客車と同じ樺色のステーションだ。

 汽車が出てから、私たちはまた展望車へ行って見た。そして、その最後部に立って、後へ後へとあとすざりして行く景色に見入る。
自然が凡て単色で彩られてゐる。水色でなけれぼ黄色だ。
 黄はヘイ(まぐさ)であらう。水色はコーン(とうもろこし)であらう。
 天地一切が水彩画的だ。

 私たちの汽車が行きすぎるのを待って、私たちの来た方へ、線路傅ひに行く一人の男がある。肩にはリユックサックのやうなものをかついでゐる。
 ルンペンだ!
 何百哩、何千哩かを、線路傅ひに彷徨ふて行くトランプだ。
 人家も稀れなこの米大陸を、西へ西へと進んで行く彼等なのだ。
 「さようなら、気をつけてお行きよ。汽車にひかれないやうにな」
 と声をかけたい気持になる。小川先生にそれをいふと、
 「しかし、この汽車は一日に四列車しか通らないのだから、ひかれる心配はないでせう」と笑はれる。
 さういへば、停車場も、急行車の止らない小駅には、駅員らしい人影もなくて、只オモチャの家のやうな小屋が立ってゐる許りだ。

 レールと平行した道を、自動車の尻にテントらしいものをつけたのが走る。キャンプ生活へ急ぐ一家連れなのだらう。小川先生が手を振ると、先方も手をふって答へた。

 汽車は午後からタゴタの峡谷にさしかゝった。この峡谷美と、ロッキーの山嶽美を観賞するために、ミルオーキー鉄道は、この区間、特に電気機関車か連絡して、煤姻の出ない所謂ホワイトコールをやってゐるのだ。

 展望車の外に、さらにオープンインフォメーションカーが連結される。何の事はない貨車にベンチを取付けたやうなものだが、風がよく通るし、四辺の景色がその儘観賞出来て、興味まさに百パーセントだ。

 汽車は山峡に這入った。
 危なっかしい断崖の下を、清流の上を、橋のやうに峡と峡とを結びつけた高い鉄橋の上を、汽車はうねり乍ら、またあえぎつゝ進む。
 私たちの先を、別の汽車が行くのかと思ふと、それが、わたしたちの汽車の最前部であった。それ程、汽車は長く連なってゐた。
 最前部から、最後部の私たちのゐるオープンカーまで、およそ四五丁はあらう。

 汽車は蛇のやうに山峡をうねりつつ進む。屏風のやうに両側は切り立った山と山に風を遮られて、汽車は浴槽の底を行くやうな暑熱だ。
 でも、オープンカーにゐれば、さすがに汗は出ない。夕方、小半時問、小雨が来たが、直ぐ晴れて夕日が照った。

 その頃には汽車は既にタゴタの峡谷を出て、銅山で名高いビューテーに近づいてゐた。
 「見なさい。銅が露出してゐますよ」
 小川先生が注意するので見ると、黒い岩が至るところに突出てゐる。
 時には鍍脈が汽車の線路近くに断崖となってゐて、私たちの上に、今にも崩れ落ちさうに見えた。

 汽車はビューテー駅に止ったので、プラッㇳヘ降りてエハガキを買ふ。一弗紙幣を出したら、昔の日本の一圓銀貨のやうな大きい五十銭銀貨や二十五銭銀貨でツリをくれた。何だか儲けものをしたやうな気持だ。賀川先生は大きな圓い銅の文鎮を買はれる。
 「オー、ビッグ、コイン!」
といって、黒ン坊ボーイが笑ひ乍ら手に取る。

     (つづく)