「KAGAWA GALAXY 吉田源治郎・幸の世界」(15)



KAGAWA GALAXY吉田源治郎・幸の世界」(15)


http://k100.yorozubp.com長期連載(150回)補充資料


第3回 保育に於ける自然研究(3)


『子供の教養』(昭和14年11月号)


     保育に於ける自然研究


                吉 田 源 治 郎


    (前回に続く)


 一七八二年にドイツの片田舎、オーベルスワイスバッハと云ふ僻村の牧師館で一人の少年が生れた。彼は九ヶ月にして生母を失ひ、幼少年昨代を冷たい継母の下で送ることとなり、さうした境遇が、「植物の世界と草花の世界とが、私の見たり、理解したりする範囲内で、私の観察と思索との對象となった」と彼自身が記してゐるやうに、彼を驅って、自然な好愛せしめた。(長田新「フレーベル自伝」六ページ、岩波書店


 一八一三〜四年、彼は、ナボレオン戦争に従軍したが、一兵卒としての出征途上、軍事活動の間にも彼は、自然への親しみと観察を怠らなかった。(「フレーベル自傅」一七二ページ、一七六〜八ページ)後彼は、ベルリンで、ワイス教授の許にある鉱物館の一助手となり、鉱物を友とする静かな生活に移り「土壌と結晶体とは人間と人類とその発展とその歴史との鏡」であるとした。(「フレーベル自傅」一七八〜九ページ)


 彼は、一八三五〜六年、プルドルフで育児院の院長として孤児教育に従った。この彼が人生も半ば過ぎた頃に、所謂幼稚園キンダー・ガルテンを創設したのであった。彼とは云ふまでもなくフレデリック・フレーベルの事である。(後述フレーベルに於ける自然愛の項参照)


 私が何故、保育に於ける自然研究の重要性を力説するかといふのに、それは梢ともすると等閑視され易い幼稚園に於ける「園」の部分に注目して欲しいからである。そして殊に大都会の保育施設に於て忘れがちになり易い「園」を子供たちのために復興したいからである。


    (つづく)