『賀川豊彦と現代』紹介・批評紙誌テキスト化分(2)「神戸新聞」1988年7月5日)


賀川豊彦と現代』紹介紙誌


 テキスト化分(2)


      神戸新聞」1988年7月5日


 この記事は、取材をいただかないで掲載されたもので驚きましたが、前回取り出した雑誌『雪』に取り上げていただいた神戸新聞編集委員・有井基さんが、この記事をお書きいただいたようです。

 当時はまだ、「差別・偏見」を告発する記事は屡々登場しましたが、ここで書き下ろした作品は、そうした「告発」を批判的に吟味したものであるだけに、マスコミの関係者の中では、取り上げにくいものだったのですが、この記事には驚きました。





 10日に生誕百年 賀川豊彦のドキュメント


 神戸の牧師 “脱偏見”に焦点 献身的活動を記録


 賀川豊彦は“差別者”か――今月十日が生誕一〇〇年に当たる賀川の評価をめぐって、日本基督教団などキリスト教界の一部で今なお根強い賀川批判が続いているが、この問題解決へ新しい糸口を提示した本がこのほど社団法人兵庫部落問題研究所から出版された。番町出会いの家牧師、鳥飼慶陽さん(四八)=神戸市長田区一番町三ノ一ノ三=の「賀川豊彦と現代」。著者は、賀川の広範で献身的な社会活動をドキュメントふうにつづる中で「冷静に、しかも真実への開かれた勇気をもって問題解決を」と強く訴えている。


 賀川豊彦は明治二十一年七一月十日、神戸市兵庫区島上町二〇八番地で生まれた。二十一歳の年の瀬に、神戸の「葺合新川」のスラム街に住みつき、以後、貧民救済運動から労働運動、農民運動、平和運動など、あらゆる運動に献身した。その近・現代史に記した足跡については国際的な評価が定まっている。


 だが、問題となったのは、大正四年に刊行された大著「貧民心理之研究」第一編第七章で、被差別部落について人種起源説をとったことと、同八年の著書「精神運動と社会運動」続編四でも差別的な言葉が使われていること。昭和三十五年に死去した後、「賀川豊彦全集」二十四巻を出版する際も、この部分をどうするか、論議を呼んだが、初版(昭和三十七年)、第二版(同四十八年)は原文のまま収録された。


 しかし、「今日の社会に悪影響を与える」「賀川先生の名誉を傷つける」とするキリスト者部落対策協議会の主張は強まる一方で、第三版(五十六年)は出版元のキリスト新聞社が問題個所を削除するという自主規制をとった。鳥飼さんは「こうした措置は、賀川に“差別者”のレッテルを張ることになり、現に部落問題をタブー化しつつある」と指摘。二十七歳の時の考え方だけにこだわって、その後、七十二歳までの実践でそれがどう訂正され償われたかを見ない偏狭さが悲しい、という。


 賀川は二十七歳の時、被差別部落に対して独断と差別的偏見に陥っていたことは歴史的な“事実”。しかし、賀川が消費組合運動と並行して日本農民組合創立に心を砕いていた時、奈良県から西光万吉、阪本清一郎、米田富の三人が神戸の賀川宅を訪れ、全国水平社創立の相談をしている。そうした親交を通じて、賀川の部落認識がどう変わったか。


 鳥飼さんは、賀川の人と思想を学ぶためには、そのトータルな生き方をこそ大切にするべきで「削除された全集など歴史的価値を失った2¥“傷もの”でしかない」として、一部キリスト教関係者を真っ向から批判。論議への新たな一石を投げかけている。


 神戸市中央区元町通七ノニノ一一、兵庫部落問題研究所(☎078一351一5265)千八百円。