「賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて」(第10回)(未テキスト化分)


賀川豊彦の贈りものーいのち輝いて


 第10回・未テキスト化分



        第一章 賀川豊彦 没後四〇余年

 
  (前回の続き)


               おわりに

 
 賀川の名著『乳と密の流るゝ郷』(改造社、1935年)は、家庭雑誌『家の光』で連載中から広範な読者を得た作品として有名ですが、没後1968(昭和43)年「家の光協会」から新装出版されました。


 いまこの作品を読み進んでいましても、なぜか時を越えて訴えるものがあり、うちに溢れるものを止められません。

 
 既述のように、賀川の独自なコスモロジー(「宇宙の目的」毎日新聞社ほか)は、現代の研究者のなかに、彼と同時代に生きたティヤール・ド・シャルダンやアルフレッド・N・ホワイトヘッドの思想と関連させる、興味尽きない関心も広がっています。


 賀川とシャルダンの宗教思想の比較研究は、1985年頃から岸英司教授によって着実に進められていることは良く知られています。(注1)


 また、「ホワイトヘッドとプロセス哲学」の研究も、1975年に「日本ホワイトヘッド・プロセス学会」が誕生していて、近年とくに日本においても活発になっていますが、「賀川豊彦ホワイトヘッド」の比較研究も、今後大いに期待されるところです。


 わたしの身近なところでは、近著『ホワイトヘッドと西田哲学の〈あいだ〉―仏教的キリスト教哲学の構想』(法蔵館、2001年)でも注目を集める前記の延原時行氏は、その「あとがき」(265頁以下)において、ホワイトヘッド最晩年の好著『ホワイトヘッドの対話』(みすず書房、1980年)に残されているつぎの言葉を、深い共感をもって引用して、興味深いコメントを加えています。

 「神は世界のうちにあるのであって、さもなければどこにも居らず、絶えずわれわれの内部と周辺で創造しています。この創造原理はいたるところに、生物体にも、いわゆる非生物体にも、エーテルにも、水にも、土にも、人間の心にもあります。しかし、この創造はひとつの連続的な過程であり、しかも過程はそれ自体で現実態なのです。というのは、どこかに到達したとたん、新たな旅路が始まるだけなのですから。この創造の過程にあずかる限り、人間は神的なもの、神にあずかります。そして、かかる参与こそ、人間の不死性であり、人間の個性が肉体の死を超えて生き残っていくのかどうかといった問題を無意味なものにしてしまうものなのです。宇宙における共同創造者(co‐creator)としての人間の真の運命こそ、人間の尊厳であり、崇高さなのです。」(531頁、傍点ママ)


 確かに、ホワイトヘッドのこうした見方は、すでにこれまで取りだして見ましたように、「賀川豊彦の基礎視座」と深く響き合うことのできる、美しい照応関係を確認できるように思われます。


 繰り返しになりますが、神戸を拠点に、日本国内はもとより、世界を遍歴して「人生の座標軸」に働く「いのち」を指し示しつづけた「賀川豊彦の全生涯」は、同時代を生きた20世紀の人々に強い共感と支持を獲得したのと同じように、いやそれ以上に、新しい21世紀を生きるすべての人々にとって、忘れることの出来ない、いや忘れてはならない大切な先達のひとりでありつづけるにちがいありません。


 最後に、多くの珠玉の言葉のなかから、短くふたつ取りだして、この章を閉じたいと思います。


 「雲水の心は無執着の心である。風に雨に、私は自ら楽しむことを知っている。世界の心は、私の心である。雲は私であり、私は雲である。雲水の遍歴は、一生の旅路である。」(『雲水遍路』改造社、大正15年、「序」)


 「わたしの魂よ、強く生きよ。善と美に対して強く生きよ。春先の麦の芽が黒土の地殻を破って萌え出づる如く強く生きよ。混乱を越え、争闘と、怨恨と、暴力と、脅迫と、病弱を越えて強く生きよ。』(『地殻を破って』序、福永書店、大正9年)


                 


1  岸英司「宇宙意識の宗教性―ピエール・ティヤール・ド・シャルダン賀川豊彦の宗教思想についての比較研究試論一・二」(「ノートルダム清心女子大学「紀要」文化学編20号・21号、1985年・1986年」、「ピエール・ティヤール・ド・シャルダン賀川豊彦 宇宙的宗教思想をめぐって』(『比較思想研究』15号、1989年)ほか参照。


(初出:兵庫県人権啓発協会『研究紀要』第4号(2003年)。続いて神戸新聞総合出版センター『人権の確立に尽くした兵庫の先覚者たち』(2004年)及び賀川豊彦記念・松沢資料館紀要『雲の柱』19号(2005年)に採録された。)


   (次回に続く)