「賀川豊彦と現代」(第28回)(絶版テキスト化)



 賀川豊彦と現代(第28回


 絶版・テキスト化



              あ と が き


              I 賀川の魅力


 本書は、当初「賀川豊彦と部落問題」と題して書き起こし、ご覧のような内容で筆をすすめてきました。これまでの「賀川豊彦伝」のほとんどが「部落問題」を避けて執筆されている現状の中で、本書のようにこの問題を主題的に展開することの意義は、その内容はさておき、「希少価値」として認められるのかも知れません。そして、本書の内容はまた、狭く部落問題に限られるものではなく、賀川豊彦の青壮年期(神戸時代)を中心とした苦闘のドキュメントであると同時に、今日の「賀川問題」に対して、いくらか新しい視点に立つ対話の試みでもあるので、書名も『賀川豊彦と現代』といたしました。


 ところで、私事を記すのも気のすすまぬことですが、本書の意図を多少でもご理解いただくために、わたしにとっての「賀川豊彦」と「部落問題」について、ここで少し付言しておくことにいたします。


 「賀川豊彦」については、もう三〇年以上も前の高校生の頃、山陰の倉吉という小さな街の教会で、写真がたくさん収められた『隣人愛の闘志――賀川豊彦先生−』(横山春一編著、一九五二年、新教出版社)を読んだのが最初のことです。そして、賀川が提唱していた“立体農業”のことなども耳にし、その教会の牧師の生き方に強く魅せられるなどして、将来は農村の小さな教会の牧師になることをひそかに夢みたものでした。大学へ入学して間もなく、あの“六○年アンポ”の年に、賀川は天上の人となりました。その後、本書でも記した“賀川豊彦全集問題”が起こったのです。


 それからしばらくして、一丸六六(昭和四一)年春、賀川が「葺合新川」に創設した「神戸イエス団教会」から招聘をうけ、「賀川記念館」に居を移して二ケ年を過しました。以来「番町出合いの家」と称する世界一小さい「家の教会」の「牧師」として、ちょうど今年満二〇年をむかえようとしています。この二〇年間は、部落解放運動においても次々と新しい課題に挑む激動期でしたが、住民のひとりとして、共にその活動に参加してまいりました。


 この新しい歩みのなかで、「賀川豊彦」はより身近かな先達のひとりとして甦り、その「人と思想」の面白さが少しずつ解りはじめた、というのが現在の率直なおもいでもあるのです。そして、最近では、賀川と同時代人であるイエズス会の司祭=ティヤール・ド・シャルダン(注1)をとりあげ、両者の宗教思想の類似性に注目して比較研究を試みる岸英司(注2)氏の論文「宇宙感覚の宗教性」(ノートルダム清心女子大学紀要、第九巻第一号・第一〇巻第一号所収)や、『仏教的キリスト教の真理――信心決定の新時代に向けて』(行路社)で知られる延原時行氏(注3)が、賀川の宗教思想のなかに、近年注目を集めつつある「プロセス思想」(注4)を見ようとする新しい動向に、心が動かされたりしています。


(注1)テイヤール・ド・シャルダン(一八八一〜一九五五)
 フランスの古生物学者、地質学者、カトリック司祭。『現象としての人間』(みすず書房)などで日本でも注目される。
(注2)岸 英司(一九二七〜)
 英知大学教授。ノートルダム清心女子大学客員教授。論文≪「生命宗教と生命芸術」における賀川豊彦の神学思想≫(「賀川豊彦学会論叢」創刊号所収)などがある。
(注3)延原時行(一九三七〜)
 日本基督教団牧師。米国宗教学会常設共同研究部会「プロセス思想と西田学派仏教哲学」座長。クレアモント・プロセス研究所内「東西プロセス研究プロジェクト」主任。
(注4)プロセス思想
 哲学者A・N・ホワイトヘッド(一八六一〜一九四七)の哲学思想に促されつつ、現代の哲学・宗教・社会活動などへの対話を試みる米国における独自の思想運動。日本においても、一九七九年「日本ホワイトヘッド・プロセス学会」が発足し、その学会誌『プロセス思想』が刊行されている。


              2 聞かれた勇気


 このように、賀川の残した積極的な遺産から学ぼうとする人々が現われてくる一方で、本書でふれたような、展望の見えない過熱した「賀川批判」が果てしなく続けられているのです。これまで「賀川豊彦と部落問題」について論ずることを控えてきましたが、近年のあまりに乱暴な「賀川批判」が自ら所属する教団内で跳梁跋扈するに至り、「はしがき」で記したような経緯で、本書が出来あがりました。

 とくにⅥに収めました「質問と希望・意見」を提出して後、わたし自身が学び得たものの拙いまとめがこのようなものになりました。近く日本キリスト教団の『第二次討議資料』が公表されるようでもあり、また、キリスト新聞社より『賀川豊彦と部落問題資料集』の刊行も間近いとも耳にします。


 この小著が、今日の過熱した現状をいくらかでも鎮め、冷静に、しかも真実への開かれた勇気をもって、問題の解決へねばり強く立ちむかうことのできる、ひとつの捨て石になれば、本書の目的の一半は果たせたことになります。問題を提起する方々や読者のみなさんの、きびしいご批評を待ちたいとおもいます。



           3 生誕百年の記念の徴し


 なお、賀川の代表作『死線を越えて』(三部作)や本書に言及した『貧民心理之研究』ばかりでなく、『地殻を破って』『天の心・地の心』ほか多くの作品にも、是非直接目をとおしていただければ幸いです。『賀川豊彦全集』にも収められていますが、散文詩北斗星の招宴』『愛の科学』、小論『化粧の心理』『衣裳の心理』など、いまでも興味をそそる作品として、わたしたちを楽しませてくれます。


 おわりにあたり、『女性讃美と母性崇拝』などを書いてフェミニストぶりを発揮した賀川が、その詩集『永遠の乳房』の最後で、書名と同名の詩をかき残していますので、それを引用させていただくことにいたします。


      ほんとに、私のような みなしごが、
      葺茅のほとりで育ったのも、
      全く 神の乳房のお陰ではないか?
      娼婦の子として産れ、
      汚芥箱(ごみばこ)の側で育った私か、
      辛じて ひとり歩きの出来るようになったのも、
      全く、神の乳房の、お蔭じやないか!
      乳が流れる――天の乳が! 天の銀河にも
        乳が湧く!
        「乳の道」とはよく云ふだ。
      さらば私の魂は
      もう、此上饑えることがない。
      永遠の乳房が 私を待ってゐてくれる
        あゝ 永遠の乳房! 永遠の乳房!


 本書の執筆には、多くの方々のお力添えをいただきました。なかでも、賀川豊彦記念松沢資料館の賀川純基館長と同館研究員米沢和一郎氏には、貴重な時間をさいて下書き原稿に目を通し、暖かいご助言をお受けしたばかりでなく、資料館所蔵の大事な資料や写真など多数ご提供いただき、感謝のことばもございません。


 また、地元神戸の賀川記念館所蔵の大量の図書資料や、兵庫部落問題研究所が蒐集してきた関係文献資料と研究成果も大いに手助けになりました。そのほか一々お名前をあげることを控えますが、近くからも遠くからも、この拙い小著の完成のためにお励ましを賜わり、ここに厚く御礼申し上げます。


 ほかでもふれましたように、ことしは丁度、賀川豊彦・ハルご夫妻の生誕百年記念の年にあたり、記念事業が多彩に企画・実施されつつありますが、本書の刊行が、記念の徴しのひとつにでもなれば、これにすぎる喜びはありません。

      一九八八年二月
                   番町出合いの家
        鳥 飼 慶 陽

   (次回最後に「年譜」と「参考文献」)