「賀川豊彦と現代」(第2回)(1988年)


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賀川豊彦と現代


 1988年出版・絶版テキスト化第2回



   「はしがき」のつづき


            3 本書の目的・方法


 ところで、「賀川豊彦と部落問題」をめぐって早くからたゆまぬ研究を重ねてきたのは、『キリスト教と部落問題』薪教出版社、一九八三年)で知られる工藤英一氏(注1)です。工藤氏は、惜しくも一九八七(昭和六二)年六月急逝されましたが、『日本キリスト教社会経済史研究』『日本社会とプロテスタント伝道』など多くの著書や論文によって、明治期のキリスト教史を探究してきた歴史研究者です。なかでも、当時のキリスト者たちが、部落問題とどのように出会い、地域と関わっていったのかを、歴史的にたどりつつ吟味を加えてきました。とりわけ本書の主題である「賀川豊彦と部落問題」については、その取り上げ方に一部問題を含むとはいえ、ひとりの歴史家の目をとおして、開拓的とも言える新たな光を投げ掛けてきました。


 しかし、こうした工藤氏の研究成果が、最近のキリスト教界においてはあまりに一面的に逆用されて、一方的な「差別者・賀川」とする断罪の具に供されてしまっているのです。そして、このような傾向は、いまだ改まる様子もなく、キリスト教界にあっては以前にも増してますます、部落問題がタブー化していきつつあるようにさえ見受けられます(この現状については、本書で一章を設けて論ずる予定です。


 部落問題を二一世紀まで持ち越さないために、いま多くの人々が力を合わせ、国民融合(注2)の大道を確かなものにしようとしているこの時期に、宗教界、わけてもキリスト教界の一部とはいえ、このような事態が残されていることは、大変悲しむべきことだと言わねばなりません。


 したがって、本書の目的の第一は、「賀川豊彦と部落問題」について、キリスト教界にみられる最近の動向をふまえて、より適切な問題の解き方をさぐるひとつの試みを目指すことにあります。


 なかでも、とくに本書の特徴としたい点は、賀川の部落問題に関する「考え方」(認識) の問題――つまり彼の「人種起源説」(注3)に立つ差別的偏見の問題――を、それとして検討しておく課題と同時に、他方で、賀川のあの開拓的な実践上の足跡を、可能なかぎり再構成することにあります。こんにち「差別者・賀川」として問題にされているのは、すべてが前者の賀川の「考え方」に集中されていて、後者の賀川の「生き方」についての歴史的検証の努力はすっかり欠落したままなのです。たとえわずかに「生き方」が問われる場合でも、「生き方」そのものが検討されるのではなく、「差別者・賀川」の「生き方」として見られてしまうために、せっかくの重要な問題提起も十分な説得力を持たなくさせているのです。


 しかし、本書でのこの問題の解き方は、ひとの「考え方」(認識)と「生き方」(実践)を混同させることなく、両者の区別と関係を明確に見極め、両者を独自な検討対象とする、という方法です。そして、ひとの「考え方」と「生き方」はいずれも、そのひとの成り立ちの基礎から促されてくるものによって、つねに正され、新しくされていくものだ、という点です。


 ですから、当然のこととはいえ、ひとの一生には、「考え方」の上でも「生き方」の上でも、深化・発展もしくは退化・衰微がありますから、それらを固定的に見ることはできませんし、見てはならないのです。


 その意味でもつねに、歴史的な見方が必要になってきます。その点、明治末から大正初期の賀川の部落問題認識が、彼の七二年のその生涯のあいだ、不変のままであったかのような受け止め方をしたり、こんにちの認識から歴史を飛びこえて一方的に断罪するといった、単なる非歴史的・超歴史的な見方に陥らないようにしなければなりません。


 したがって、本書では、賀川の部落問題に関する「考え方」において、最も問題になる『貧民心理之研究』をめぐって独立した検討をおこないます。そして、賀川の「生き方」に関わって、IとⅡおよびⅣ・Vにおいて、その開拓的試みの全容の一端を明らかにしたいとおもいます。さらに、これらをうけて、Ⅵで今日のキリスト教界の「賀川問題」を取り上げ、Ⅶの「賀川豊彦と現代」において、わたしたちが彼の残したものから、何を学び、批判的に継承していくのかを、また、現代の宗教者が、部落問題の真の解決――国民融合の基礎を明らかにして、自立と融合を実現する――にどのように貢献することができるのかを、積極的に示すことができればと考えています。


 わたしには、賀川豊彦というひとりのひとをとおして、今日のわたしたちが忘れかけている、ある大切なものが、指し示されているようにおもえるのです。世に多く見られるような、ただ賀川を罵倒することによって自らの「進歩性」を示そうとする傾きに陥らないように、またその反動として、ただ賀川を無批判的に弁護するようなことにならないように、自戒する必要があります。


 ひとの「考え方」や「生き方」は、その時代と環境に大きく影響されたり、影響を与えたりするものですが、それらの真偽・正邪はその都度きびしく間われていることは言うまでもありません。本書をとおして、賀川のあの冒険的人生の全生涯のなかにいきづいている大切なあるものに、いくらかでも目を注ぐことができれば幸いです。


 なお、本書によって、部落問題研究のなかの、いわゆる「水平運動史研究」の分野での賀川豊彦の位置が少しなりともハッキリする契機ともなれば、望外のしあわせです。一時期とはいえ水平社運動と融和運動(注4)の双方と深い関わりをもちつづけた賀川の足跡は、それとして正しく記憶されてよいことのひとつのようにおもわれます。


   一九八八年二月

                           著 者



(注1)工藤英一(一九二二〜一九八七)
 明治学院大学教授。部落解放キリスト者協議会顧問。キリスト教文化学会理事長。
(注2)国民融合
 戦後日本社会の変化に即して、部落問題解決の展望を示した新しい解放理論。一九七〇年代半ばに提唱され、広く国民の間に定着・支持されてきている見方。
(注3)「人種起源説」(異民族説)
 徳川中期以降に身分差別を正当化するため唱えだされたもので、これが一般に広く流布されたのは、日本が朝鮮・中国などへの侵略をはじめてからである。
(注4)融和運動
 「融和促進」を目標にかかげて活動した戦前の官製、半官半民、あるいは民間の部落改善運動。協調主義ないしは改良主義的考え方に立つ。