「21世紀に生きる賀川豊彦ー徳島信徒会総会」(第1回)(2005年)


宮崎潤二さんの作品「北京の八大名勝のひとつ・盧溝橋・北京市の玄関口」




 21世紀に生きる賀川豊彦


        徳島信徒会総会


     2005年11月23日:鳴門市賀川豊彦記念館
   

              第1回


              はじめに


 本日は、こうして御一緒に一日を過ごせますこと、大変嬉しく存じます。
 黒田あや様から数ヶ月も前、この日のことでお電話を頂きました。お声は明るくて、初めてのお電話ですのに、何か昔からのなじみのようなお話しぶりで、ついついお引き受けしてしまいました。加えて武市崇雄会長からも丁寧なお手紙を頂き、皆さまの信徒会の歩みの記録なども拝見いたしました。
 また、石井教会の黒田道郎牧師からも度々、本日の総会に向けて、祈りつつ準備を進めていることをご連絡いただき、今日を迎えました。どなたともこのたび初めてのお顔合わせでございます。
 とくに今回は、敬愛する賀川先生のふるさと「阿波の徳島」で、しかもこの素晴らしい鳴門市賀川豊彦記念館において、賀川先生のことをお話させていただけることは、本当に感激でございます。
 今日は、ふと思い立って、携帯の小さなスピーカーを持ってまいりました。賀川先生のお声を、御一緒に聞いてみたいと思ったからでございます。


 「21世紀に生きる賀川豊彦」という主題です。
 すでに賀川先生は45年前、波乱の生涯を終えておられますが、その賀川豊彦はいまも「21世紀に生きている」というお話です。


  千の風になって」


 それでお話を始める前に、皆さまも馴染みのある作家・新井満さんの「千の風になって」(a thousand winds)という「うた」を、歌詞の入ったものも持参いたしましたので、聴いてみましょう。

 この「うた」は、2年前CDになり、美しい写真入りの本にもなりました。さらに新たにCDブックにもなって、ひろく聴かれています。大切な人を亡くしたとき、その深い悲しみを癒やしてくれます。作者不明の英語の詩に、新井さんが見事な日本語に訳し、美しい曲をつけ、ご自分で歌っておられます。
 新井さんは、神戸でもお仕事をなさいましたが、新潟の方で昨年の新潟地震のおり、この「うた」とともに、よくテレビでもお目にかかりました。「良寛さん」の研究家としても知られていますね。(「千の風になって」を聴く)


       第一節 賀川豊彦は、今も生きている


千の風になって」賀川豊彦先生も、わたしたちと共にいまも生きておられます! 
 すでに午前中、ゆっくりとこの記念館の展示など御覧になりました。皆さまもすでにお持ちのようですが、立派な『常設展示図録・賀川豊彦』は、前回ここに参りましたときに、わたしも求めて拝見しました。この建物も素敵なものですが、良くこれだけの資料をお集めになったものだと驚きましたし、何といいましても、こころをこもった、ゆきとどいた展示の中身が素晴らしい!


 そしてこの『図録』の執筆者のお一人・林啓介先生の御著書『時代を超えた思想家・賀川豊彦』は、なんどか読みとおしましたが、最近の最も素晴らしい「賀川豊彦入門書」ですね。


 実は先週、神戸市郊外の美しいニュータウンにある研修施設で、賀川先生が創立された「イエス団」関連の中核を担う方々の一泊研修会がありました。ご当地の「光の子保育園」から北岡綾子さんのお顔もありましたが、3時間もの時間「賀川豊彦」について、お話をさせていただきました。そこでの研修テキストになっていたのが、この林先生の『賀川豊彦』でした。


  「阿波のまほろば」


 申し上げるまでもなく、記念館の建つこの場所は「阿波のまほろば」と呼ばれています。
 さきほどいただいた絵入りポスターには、「こころ交響の郷」とも記されて、いま話題の映画「バルトの楽園」の製作で賑わっているこの横の「ドイツ館」や四国巡礼の第一札所として名高い「霊山寺」、そして賀川先生の「豊彦」という名づけでもご縁のある鎮守「大麻比古神社」などが描かれていて、つぎのようなことばが添えられています。

  じっと耳を澄ませば、聞こえてくる―
  はるかな昔から、はるかな国々から
  神々の、仏達の、人々の、歌声、祈り、笑い声
  それらは響き合い、高め合い、慰め合う
  ここは、癒やしと再生の郷
  豊かな実りと魂のふる郷
  阿波のまほろ


 この場所は、ほんとうに特別な聖域として「阿波のまほろば」ですね。これまでわたしもなんどか、この「阿波のまほろば」を案内していただきましたが、確かに「人と自然」に囲まれた、特別の風情がございます。
 

         1 賀川豊彦の映像とお声


 わたしは生前の賀川先生を一度も見たことも、お話をお聞きしたこともありません。また賀川先生と共に歩まれたご当地の黒田四郎先生(注1)も、残念なことに一度もお会いする機会をもつことが出来ませんでした。 両先生のことは、書物や写真などを通して、その大きな足跡を学んでまいりましたけれども。


  「A DAY WITH KAGAWA」


 早速ですが、この記念館には立派なプロジェクターがありますので、賀川先生の珍しい映像をまず御覧いただきたいと思います。
 このビデオは、17年前(1988年)、「賀川豊彦生誕百年」のおり、NHKが「賀川豊彦って知っていますか」という四五分番組を製作いたしました。作家の大江健三郎さんと賀川研究者としてもよく知られ先年お亡くなりになった隅谷三喜男先生の対談形式の番組でした。


 このときは、日本基督教団内部で「賀川豊彦と現代教会」問題ということで、大きく揺れていたときでしたので、NHKの方が私の仕事場にこられ、カメラを向けられたりもいたしましたが、この番組に収められたビデオの一部で、賀川先生の神戸での働きを、宣教師が撮影してアメリカで広く上映されたたいへん貴重なフイルムです。1938(昭和13)年につくられたものです。(NHKビデオを写す)


 今年(2005年)の5月18日には、四国テレビで「徳島の20世紀」という番組のなかでも「賀川豊彦」が取り上げられていたようですね。
 そのシナリオを拝見しましたら、皆さまの「石井教会」や「光の子保育園」、そして黒田あや様のインビューもあり、この記念館にセットされている「阿波農民福音学校」で船本宇太郎さんなどと熱心に学ばれたことのある大麻町の市橋さんや「船本牧舎」のことなどが取材され、紹介されていました。


   賀川講演「下座奉仕」


 ところで、賀川豊彦先生の貴重な映像とともに、先生のお話の声が残されています。
 これは晩年の、東京・本所の下町でお話になったおりのもので、とてもアットホームな雰囲気が録音されています。これが「賀川豊彦記念・松沢資料館」の開館20周年記念としてCDになっていますので、ここで、短くお聴きしたいと思います。
 このときの先生のお話の題は「下座奉仕」となっております。(CDで賀川先生の声を短く聴く)


 「賀川生誕百年記念」のとき、1988(昭和63)年9月24日でしたが、この大麻町の田淵豊先生や地元の方々のお招きで、「鳴門市堀江公民館」というところにお邪魔したことがあります。その会場には、鳴門教育大学の田辺健二先生(注2) もお見えで、講演の終った後、「賀川先生のこの地元に、ぜひ記念館をつくりたい」という熱い思いをお話になっていたことを、いま思い起こします。


 そして、会場の「堀江公民館」には、賀川先生がお書きになった立派な額「下座奉仕」が飾られていて、写真に収めて帰りましたが、いまこの記念館の展示室に移されていますね。「1957年1月7日」の日付がありましたから、賀川先生の最晩年の揮毫ですね。


    (次回に続く)


                  


1   黒田四郎氏には、渡辺善太の情熱的な「序」が入った『人間賀川豊彦』(キリスト新聞社、1970年、)と共に、島村亀鶴と武藤富男両氏の「序」の入った『私の賀川豊彦研究』(キリスト新聞社、1983年)の二書が広く知られている。賀川から「ほんとうの弟のように可愛がって頂きました」という黒田四郎ならではのユニークな血の通った賀川研究書である。
2  田辺健二氏は、有島武郎の研究家で、現在「鳴門市賀川記念館」の館長をつとめる。当日も同席され、集会後、鳴門市会議員で記念館の建設・運営に貢献しておられる田淵豊氏のご自宅に招かれ親しく歓談のときをもった。