「宗教者と部落問題ー在家牧師の神戸からの報告」(第1回)(同朋教学研修会、2000年8月)


今回から数回に分けてUPするのは、2000年8月22日〜23日の2日間、九州の浄土真宗の僧侶のあ方々の「同朋教学研修会」での講演の記録です。


僧職の方々との交流は古くからあるのですが、2日間にわたって共に時を過ごして学びあうのは珍しく、私にとっては、大変得難い経験でした。僧職の皆さんが、その道を求めて、誠実に歩んでおられる姿を目の当たりにして、学ばせてもらうことの多い研修会でした。


はじめに、当日準備したレジュメをあげておきます。


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              宗教者と部落問題
    

           ―在家牧師の神戸からの報告―

  はじめに 


1 部落問題解決の経過と現状―個人的な歩みを含めて                
  a 部落問題との出会い  「一在家牧師」について  30年前の白黒ビデオ
  b 地域の変化――1960年代以降 
    1970年代の集中的な取り組み 実態調査 計画策定から実施へ 
    1980年代の「見直し」作業 解決への見通し 家賃適正化など
    1990年代の「終結」をめざして  震災体験
    最終段階を迎えた部落問題 
  c 「旧い部落問題」と「新しい部落問題」(2日目の課題に結んで)
   教団との関係(主としてキリスト教界の「賀川問題」)
                            (以上第1日目)



2 「大切にしてきたこと」と今後の課題
  a 単なる「テーマ」や「義務」にしない
  「発見のよろこび」 「新しい思惟」と「新しい行為」
  b 「閉じられた宗教の世界」に安住しない
    「開かれた関係性」(区別・関係・順序)  「一人性」「対人性」「社会性」
    「精神現象」と「物質現象」
  c 「拝跪」「癒着」を絶つ
    「間」のとりかた(連帯・相互批判)    教団問題  教学の検討


  むすびに代えて
    21世紀にむけて  「出会い」「対話」



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              宗教者と部落問題 

            一在家牧師の神戸からの報告
                           
           はじめに(ご挨拶をかねて)


ご紹介を戴きました鳥飼慶陽(とりがいけいよう)と申します。こちらへはこの度はじめて参りました。思いがけずこうしてお目にかかることができて、たいへん嬉しく存じます。


私の名前は少し変わっているので「お坊さんですか」と言われたりします。
父は、私の幼いときに病没していますので写真でしか知りませんが、戦前・戦中は中国東北部、当時の満州で仕事をしていて、父が尊敬していた或る中国人の方のお名前にあやかって「慶陽」と命名したそうです。


鳥飼という名前も余りポピュラーではありませんが、私は山陰地方・鳥取県関金町(せきがね)という小さな温泉町の生まれです。遠い遠い親戚らしいのですが「鳥飼旅館」という老舗旅館がいまもあり、私の田舎には「鳥飼」の姓の家はいっぱいあります。


それはともかくとして、丁度二月前(6月22日)にお電話をいただき、本日の研修会のお誘いをいただきました。1995年1月の阪神大震災のあと、1997年に部落問題の全国研究集会が小倉市で開催され、そこで「宗教と部落問題」という分科会がありました。 この全国集会では、布教師をされている京都の大原光夫先生と牧師である私がその分科会の「基調報告」を担当させていただきました。


どういう経緯でしたか、その時の私の「基調報告」をお読みになり、それがちょっと面白かったので、いちどこの機会に、自由な意見交換をしてみたい、ということでした。私は日程さえ調整がつけばよろこんで参りますと、何とも軽率なことですが、すぐに快諾をしてしまいました。数日後、再びお電話をいただき、本日の日程を話され、二日間の研修会で2回に分けて、存分に話をして欲しいということでした。
 

私は、このお申し出にたいしても、時間をたっぷりいただくのは有り難いことで結構ですと、これまた安易に快諾をいたしました。大切な研修会でたっぷりとお話しをさせていただくのは有り難いことですが、お聞きいただく皆さんにとっては、どうでしょうか。


私の話はいつもまとまりのない眠気を誘うものだと、其の点私は大変自信を持っています。暑いときでもありますし、どうぞ気遣いなしに居眠りもしていただきながら、気軽に聴いて戴ければうれしく存じます。休憩をとったり、ご質問もお受けしたりしてすすめさせて戴きたいと思います。


それで、お手元に簡単なレジメをお渡しいたしました。お話しのタイトルは、「宗教者と部落問題」として、そのサブタイトルとして「一在家牧師の神戸からの報告」とさせていただきました。


いくつかの「資料」を用意するつもりでしたが、今年(2000年)6月に京都の部落問題研究所の発行する月刊雑誌『部落』(662号)で「宗教と部落問題」の特集が組まれ、そこに寄稿したものを用意していただくことになりましたので、他のものは割愛しました。


ご依頼をうけて2カ月も時間がありましたのに、うかつなことにご当地での「部落問題の解決の歩みと現状、またこれからの課題」といったことについても、また先生方がこれまで、宗教者としてこの課題とどのような係わり方をしてこられたことについて、お聞きしたり学習したりすることなしに、本日を迎えています。ですから、今からお話をすることは「的外れ」なお話しになるのではないかと思いますが、其の点はご理解を賜りたいと思います。


当然のことですが、お互いに生まれも育ちも異なっています。「ものの見方・考え方」「生き方や取り組み方」は、ひとりひとり全部ちがいます。それがまた面白いところですが、部落問題という社会問題の解決への取り組みの過程をみますと、「地域性の違い」がとても大きいことを痛感しています。


おそらく九州の中でも福岡県は、また福岡県の中でも鞍手郡は、また鞍手郡の中でも町毎に、町の中でもそれぞれの地域によって、歴史も違います。住民運動の、特にそのリーダーの方々や、行政や学校の取り組み方によって、「部落問題をめぐる現状や課題」は、いまではたいへん大きく違いがあらわれています。 


したがって今回のお話しは、一般的なトータルなお話しというより、サブタイトルに上げましたように、まったくローカルな、しかもいくらか個人的な視点からのお話しをすることになります。サブタイトルを「一在家牧師の神戸からの報告」としてみました。ですので、当然のことですが、皆様と私との間には、適度な「間」がございます。改めてお話できるかもしれませんが、私は、この「間」の感覚は、とても貴重だとおもっています。


ですから、これからお話しをすることに対して、大いに批判的にお聞き戴ければ、嬉しく思います。そして気軽に質問やご意見を出していただければ、それがまた、互いの新しい発見にもなると思いますので、よろしくお願いいたします。


それから、今日と明日のお話しの展開の仕方について、はじめに申し上げておきます。
タイトルは二日間とも同じですが、初日の今日はレジメの左側の1のところの「部落問題解決の歩みと現状」を、「一在家牧師」である「個人的な係わり」を含めて、お話しさせていただこうと思います。


そして明日は、今日のお話しを踏まえて、右側の2のところを、私自身がこれまで「大切に来たこと」と「今後の課題」について、いまの私の考えをお話しして見たいと思います。それでは前置きはここまでにして、早速本題に入ることにいたします。