『在家労働牧師を目指してー「番町出会いの家」の記録』(62)第7章「神戸女学院での小話ひとつー同和問題とわたしたち」第3節「展望の確かさ」

この小話は、1978年という30年以上も昔のものですが、すでに問題解決への見通しが具体的に見えてきている感じがいたします。


特に、ここにも取り上げている、和歌山県の吉備町で取り組まれた「ドーン計画」や、山口県光市での猿回しの復活運動は、私たちをわくわくさせたものでした。いずれも、神戸の私たちとは、深い相互交流が継続されて、影響しあってきたところでした。


ここには、猿回し復活の途上のレポートを、現在ではスターとなっている村崎太郎さんのお父さん・義正さんの作品を挙げて置きます。義正さんは、詩人の丸岡さんとはご近所で切磋琢磨して、部落解放運動をおし進めて行った指導者でした。


猿回しの復活や、丸岡さんのことや村崎太郎さんのことは、別のブログでたびたび言及していますので、すべてそちらに譲ります。




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         第7章 神戸女学院での小話ひとつ


             ―同和問題とわたしたちー

    
             (1978年11月29日・神戸女学院中高部)


             第3節 展望の確かさ


その成果はいま、実際の私たちの目に見える形で現れてきています。
個人的には、同和問題との直接的なかかわりを持ち始めたのはまだ10年ほどのことですが、この10年間の同和地区の変化は、実に目を見張るものがあります。


私の家にもふたりの娘がいて、新しい歩みを始めたころはまだ満2歳と3歳で、たこ焼きやさんにチョコチョコ買いに行っていたものですが、それが今ではソフトボールの試合であるとか、近く神戸に山口百恵がくるとかいうことに強い関心を持つ年頃になっています。


時間がたてば、誰でも成長するわけですが、同和問題との関連で言えば、この10年間の変化と発展は目覚しいものです。


2週間ほど前に、和歌山県の吉備町というところに地区視察に出かけました。
200世帯ほどの同和地区が、今はまったく過去の面影も残さずに、新しい町に生まれ変わってしまっているのです。


前から「ドーン計画」の町・吉備町という話は耳にしていましたが、実際にこの目で見て、地域の方や行政・教育関係者からその過程をつぶさに聞いて、改めて強い感動を覚えて帰りました。


「ドーン計画」の「ドーン」というのは、ご存知のように「夜明け」と言う意味です。この計画は昭和44年につくられた同和対策事業特別措置法(10年の時限立法でしたが、先の国会で3年の延長が決定しました)を、真っ先に活用したもので、住民の長年の願いが見事に実っていった典型のようなものです。


地域が改善されただけでなく、その町の住民の生活自体が確立されていく取り組みが進められてきているのです。


詳しいお話はいまできませんが、私たちのところでは、不良住宅を改良して市営住宅を建設する手法が基本になっていますが、そこでは殆どの家が自分の持ち家です。


当時、2割も占めていた生活保護世帯が、今ではそれが殆どなくなり、家を建てるために借りたお金の返済が、逆に日々の生活の張りになり、働ける人ははみな仕事に打ち込むことができるという、好結果を生んでいるのです。


当然のことですが、周辺の人々との交流も進み、若い人たちの結婚も殆ど支障はないと言われます。


10年前の旧いイメージのまま、同和問題を考えていますと、大変な見当違いになります。


普通人々は、過去の固定的な見方から解き放たれるのには時間がかかりますが、吉備町のような正しい部落解放運動と同和教育・同和行政が着実に進められていきましたら、同和問題の解決も決してそう遠い将来ではありません。


神戸ではこれまで、多くの同和地区を数え、私たちの地域のように大都市部落もあって、決して「ドーン計画」のように進んでいるわけではありません。


昭和46年に大掛かりな実態調査を行い、それに基づいて各地区ごとの総合的な長期計画を作りました。住宅を中心とした環境改善を始め、生活・福祉・教育・人権と言った年次ごとの計画のもとに、いろんな考え方・立場の人たちが共同して取り組みを進めてきました。


現在私たちが、同和問題を解決していくためにもっとも大切に考えていることのひとつは、私たちの自立的な生活意欲を益々促進させていくことです。


そして、同和地区内外の交流をどんどん深めていくことです。
10年ほど前でしたら、如何に厳しい部落差別が一人一人の生活にのしかかっているかを訴え、緊急な手立てを要求するということに力点がおかれてきました。しかし今日では、その論議の中身も大いく変化してきております。


例えば、地域に市営住宅を建てていますが、その家賃を徐々に上げていくべきであるとか、周辺地域とバランスのとれた街づくりをしようとか、保育所、児童館、老人憩いの家、公民館などは、もっと地域の周辺の人たちと共同して利用できるようにしていこう、といった希望が、住民の中から出されています。


今度の日曜日の午後には、公民館で劇団ドロを迎えて「ロロの冒険」の公演があります。親子劇場と言うことで、外からの参加も多いのではないかと期待しています。こうした文化的な活動も最近は目立って多くなっています。


はじめに詩人の丸岡さんのことをお話しましたが、あそこで大道芸能の「猿回し」が復活しつつあることはご存知でしょうか。


テレビや新聞でも良く取り上げられましたから、ご覧になった方もあると思います。日本の旧い伝統芸能のひとつで、殆ど廃れつつあったのですが、俳優の小沢昭一さんとか民俗学者宮本常一さんなどの力強い協力もあって、若者たちが「新しい猿回し」を復活させる運動が、大きな流れとなっています。


今、部落解放運動の中から、こうした文化的な香りの高い、面白い活動が生まれてきていることに、私たちも注目をしています。「猿回し」をぜひ神戸にも迎えて、あちこちの公園や広場でやって見たいと考えてきます。そのときには、ぜひ皆さんもおいでください。



                おわりに


同和問題が完全に解決されるためには、まだまだ困難な課題を抱えているのも事実です。そっとしておけば、自然に解決するようなことではありません。


また、同和問題が本当に解決を見るためには、とくに人権問題に関わる数多くの問題の解決を抜きには、決して実現するものではありません。そのためにも、わたしたちは、正しい解決の方法を、いつも新しく発見し、学びあいながら、一歩一歩、着実に歩み続けなければならないと考えています。


今朝の聖書の箇所で、使徒パウロは、コロサイのキリスト者たちに宛てて、次のような告白をしています。


「万物は、みな御子のあって造られ、・・御子によって造られ、御子のために造られたのである。彼は万物より先にあり、万物は彼にあって成り立っている。・・そして・・万物を・・ことごとく、彼によってご自分と和解させてくださったのである」と。


この万物共通の幸いな基盤に、ある日あるとき、目が開かれたものたち、それがキリスト者であり、新しい自由な人間たちだ、と言うことができるのです。


皆さんは、新しい自由な人間のひとりとして、「御子にあって、御子のために」あゆみ、これから自覚的にそのような生き方を切り開いていかれることでしょう。


皆さんの未来には、ひとりひとりどのような生涯が待っているのでしょうか。それは、「隠れたるを見給う父」(マタイ6・8)以外、だれも、皆さん自身も、まだご存じないことであるに違いありません。


「隠れたるを見給う父」は、必ずいつも、わたしたちひとりひとりを、見守り、励まし、導いておられます。それは、ほんとうに有難いことです。これほど確かなことはないのですから。