連載「宗教の基礎ー部落解放論とかかわって」(第1回)(1983年8月『紀要・部落問題論究』第8号)


宮崎潤二さんの作品「イルクーツクの静かな通り」




         宗教の基礎ー部落解放論とかかわって


          1983年 紀要・部落問題論究


               (第1回)


        一 「宗教と部落問題」素描


            1 当面する検討課題


 「宗教と部落問題」についての問題関心は決して近年にはじまったものではない。部落の起源論にかかわっても、また部落解放理論や解放運動との関連においても、宗教の問題は少なからぬ関心事でありつづけてきた。とりわけ仏教教団と部落問題との歴史的なかかわりについての研究は早くからてがけられてはきている(注1)。しかし、部落問題研究の全体的な状況からみて、この主題をめぐる研究活動は大幅に立遅れているといわねばならない。


 周知のとおり、この問題が大きくクローズアップされはじめたのは、いわゆる“差別戒名”問題(注2)および“町田発言”問題(注3)が集中的に俎上にのぼる一九七九年以降のことである。そうして、一九八一年三月には「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」(注4)(以下「同宗連」)が結成され、宗教界に「部落問題フィーバー」が吹きあれたのである。


 こうした動向をどのように評価するか軽々な判断は困難であるが、一方に各宗教教団内部の教団改革の動勢と他方に解放運動団体(この場合「部落解放同盟」)の戦術の密接な関連もあって、あまりに作為的に「フィーバー」(注5)しているといった感じは否めない。


 ただこれまでの多くの宗教教団では、部落問題はほとんど視野に入ることがなく、ごく一部の人々の、文字通り開拓的な取りくみに限られていたことも事実であって、こうした問題提起を契機にして、それぞれの宗教教団が、その成立の基礎にかかわる問題として、組織的な取りくみをはじめていることには、一定の意義があるといえるであろう。


 問題はしかし、そこでのこの問題への把握の仕方と実践の内容である。
すでに宗教界のこうした動向にたいする批判の声もだされているように(注6)、このあまりに作為的な嵐は、たんに部落問題の正しい解決の方向に逆行するばかりでなく、当然のこととはいえ宗教教団自体の改革さえおぼつかないことも危惧されている。


 あらためて指摘するまでもなく、宗教界・解放運動団体双方とも、少なくともつぎの二つの点がふまえられる必要があるであろう。


 第一は、部落問題の科学的な基礎的理解を厳密に吟味検討することである。
もしもこの作業を怠るとき、主観的には誠実・善意であっても、結果的には部落問題解決に逆行する反動的な役割にくみすることにならざるをえないからである。


 今日の宗教界の現況は、多くこの基礎的で初歩的な落し穴におちこんでいるともいえる。宗教界にいま求められていることは、何よりも部落問題を科学的に、その歴史、現状および解放への展望を探求することのできる視点を回復することであろう。
 もっともこのことは、解放運動にかかわる者の初歩的課題であると同時に、決して一朝一タに可能な課題でないことは言うまでもない。


 第二は、宗教(もしくは宗教批判)に関する基礎的な把握を厳密に検討することである。
 宗教の差別性を「糾弾」する解放運動は「口先では宗教を尊重しているようで、実は宗教そのものを否定するような、宗教にたいして無理解と思われるものが見られる」(注7)のも事実であろう。


 本稿では少し立ち入ってこの問題の検討をおこなう予定であるが、こんにち解放運動をすすめる者のみならず宗教界自ら、この理解の見極めがあいまいな場合が少なくないのではなかろうか。
 いずれにもあれ、宗教と部落問題双方について、事実に即した科学的な認識をふかめることが不可欠な条件なのである。


 右の認識上の問題と同時に、実践上の問題にもふれておく必要がある。
まず宗教界の差別性を「糾弾」する解放運動のすすめ方の問題である。これまでしばしば、学校や行政、或いは企業にたいする「糾弾」と同様に、宗教界にたいしても、高圧的・一方的な闘争がつづけられてきた(注8)。


 すでにこうした動向にたいして、部落解放運動の側からも、誤った「糾弾」行為へのきびしい批判が提起され、宗教教団の主体的な取りくみを促す指針も出されるに及んでいる(注9)。


 そして、その後各地で、これまでの「糾弾」行為にかわる新しい解放運動のかたち=対話運動」=推進されつつあることは注目してよいであろう。


 こんにちの宗教界にみられる、あまりに作為的な嵐を現象させている他方の要因は、もちろん宗教教団自体にある。
 「糾弾」をうけることによってほとんどの場合、部落問題の科学的理解や実践方法の主体的検討を経る余裕もなく、特定の運動団体の主張を無批判に受け入れ、さらに実践的にも安易に「連帯」することで、ある種の免罪的ポーズをとるに至るのである。


 このように、解放運動(主として「部落解放同盟」)においても、また宗教界(主として「同宗連」)においても、部落問題認識そのものが新しくされることなく、従来にもまして痙攣した解放理論に、さらに宗教的化粧を上ぬりするかたちで、「共闘」「野合」するに至らざるを得なかったのが、現状のように思われる。


 いくらか数量的に、解放運動が宗教界を糾合し、宗教界が「連帯会議」を結成して解放運動に同伴しようとも、けっしてそれは、真実の意味での新しい一歩をふみだしたことにはならないであろう。


 私たちはこうした状況のなかで、たんなる教団政治の対策的な延命策、もしくは運動論的な戦術をこえて、運動・宗教ともどもに、基礎のはっきりした積極的な展望を見出すことをとおして、部落問題解決に責任をもち、真の宗教の革新に道をひらく努力をつづけなければならないのである。


                注


(1)宗教と部落問題の関連を、広い分野にわたって年表化した労作『同朋運動年表西本願寺教団と同和問題―−』(浄土真宗本願寺派同朋運動推進本部、一九八〇年)は、歴史的経過を学ぶ上で貴重である。なお、「宗教と部落問題」の前近代関係についての文献・史料は、津田潔『「部落史」に関する史料・文献目録−―前近代編(増補版)』(一九八一年)にくわしい。
(2)(3)(4)“差別戒名”“町田発言”両問題および「同宗連」に関しては、部落問題研究所と部落解放研究所から時を同じくして(一九八二年、夏)、しかも同名の書名で刊行された『宗教と部落問題』に、諸資料を含めて詳しい。本文でふれることのできなかった問題で、“差別戒名”問題についての、つぎの発言は注目させられるので紹介しておく。まず、日本カトリック正義と平和協議会の伊藤修一氏の「墓石に刻まれた差別戒名」の論稿のなかから。
 《……高野政夫さんも清水豊さんも、「差別戒名の墓石は、先祖が苦労の末に建てたもの、差別の重要な証言、私達の歴史的遺産として大切にまもっていきます。」「断じて撤去はしません。壊したりコンクリートで埋め込んだりはしませんよ。」「水平社の精神を父親の代から受け継いでいる私達は、差別の証し、闘いの糧として大切に保存していきます。」ときっぱりとこたえられた点が、何よりも心強かった。(中略)撤去され、改められるべきは、被差別部落の人々の過去や歴史ではなく、今日も差別を生み出している宗教そのものでなければならないのではないか。》(『伝統と現代』七三、一九八一年一一月号、九二〜九三
頁)。
 つぎに、歴史研究家の成渾栄寿氏の「歴史的にみた末解放部落の戒名」の論稿のなかから。
 《……「差別戒名」の削除や改竄は史料の抹殺行為である。「差別戒名」を刻んだ墓碑の破壊も同様である。》(前掲書『宗教と部落問題』部落問題研究所、一八七頁)。
 さいごに、この問題の火付役(?)解同大阪府連文化対策部長・木津譲氏の「差別戒名をたどりつつ」のなかから。
 《……当時としては、墓をつくること自体、大へんな出費だったであろう。しかし、そんな出費をしても、「せめて死後の世界では……」という夢をたくして、無理をしてつくった墓である。そんな祖先の墓石を、誰が好きこのんで砕いたり埋めたりするものか。そのくやしさ、怒り、うしろめたさなど複雑な気もちがうずまいているだろうと思われる。しかしやっぱり、こうした墓は埋めるのではなく、解放のエネルギーヘと高めていかねばならない、と強く思う。》(傍点、鳥飼。『部落解放』一九七九年五月号、一〇六頁)。
(5)「部落問題フィーバー」なることばは、藤谷俊雄氏が「現代における宗教と部落問題」で用いた造語。(『部落問題研究』第六九号、一九八一年」一一月、三頁)。
(6)本稿も「批判の声」のひとつであるが、その「運動」に同伴もしくは共鳴する人々のなかからも、たとえば八木晃介「問われる宗教の内在論理」(前掲書『伝統と現代』七三所収)、辻内義浩「『同炎の会』の理念と運動」(同上)、丸山照雄「宗教界を揺がす差別問題の実態」(『現代の眼』一九八一年一一月号所収)など。なお、運動団体からの「批判の声」については、別に言及する(注(9)参照)。
(7)前掲書『宗教と部落問題』(部落問題研究所、六頁)。
(8 同書、四〇頁以下の藤谷論文は、「町田発言」問題をめぐる「。糾弾」の経緯に言及している。
(9)全国部落解放運動連合会(略称「全解連」)は、一九八二年一月に「“差別戒名”など宗教界の当面する諸問題についての全解連の態度」を発表し、内外に注目された。(同書、一八九頁以下参照)。