『私たちの結婚ー部落差別を乗り越えて』序章「結婚と部落差別」第4節「地区外結婚の漸増」

本書が出版された1976年の頃は、例の兵庫県但馬地方で引き起こされた、部落解放同盟による集団リンチ事件―1974年の「八鹿高校事件」―後のことで、この事件を反面教師として、部落解放運動・同和行政・同和教育すべてのところで、大きな方向転換が進んでいきました。特に、私たちの神戸においてはそうでした。


本文で触れている「木村京太郎」さんや「北原泰作」さんのことは、「西光万吉」さんや「阪本清一郎」さんらと共に、戦前の「全国水平社運動」を率いてきた大先輩たちであることはひろく知られており、本書を書き下ろした当時も、部落解放同盟の暴力的な運動の進め方には強く反対して「国民融合をめざす部落問題全国会議」という新たな組織を指導し、独自な活動を展開しておられました。


ここでははじめに、その「北原泰作」さんが、本書の出版に際して「推せんのことば」を私宛にお送りいただいた自筆原稿と、山田梅雄さんの写真集『水平運動の人々』(1982年、部落問題研究所)から自宅の書斎で写された北原さんの写真、そして戦後早く(昭和25年)に出版された北原さんの著書『屈辱と解放の歴史』(北大路書房)を、それぞれここに掲載して置きます。


北原泰作」といえば、昭和2年、名古屋で大演習のあったとき、「北原泰作二等兵」が軍隊内の差別の撤廃を天皇に直訴するという「事件」で、広く知られていますが、1970年代から80年代の部落問題解決の激動期に、部落解放運動の長老の一人として、大きな足跡を残された御方です。










それでは、以下に「地区外結婚の漸増」のところを掲載します。